美学について


 日本語で「美学」と訳される哲学的学問領域 Aesthetics(英)は、実はその歴史がさほど古くない。この名称の直接の由来は、18世紀ドイツの哲学者バウムガルテン(Alexander Gottlieb Baumgarten, 1714-1762) が、ラテン語による著作Aesthetica(I : 1750, II : 1758)を公刊したことに求められる。表題となっているそのラテン語は、古代ギリシア語のアイステーシス αἴσθησις(知覚ないし感覚〔する働き〕)に基づいた造語で、彼はその著作において、「感性的認識の学」を構想したのであった。つまり Aesthetics は、近代になって哲学の一分派として確立されたものであるとともに、感覚や感性の働きが関わる領域をそのフィールドとしているのである。翻って考えれば、西洋の思想や哲学の文脈では、真理やことわりに関わる知性とか理性が中心に据えられ、感覚はそれらの働きよりも下位に置かれるのが常であった。感覚は誤謬を犯し、私たちを惑わすが、知性はそれをただし、私たちに物の本質や真理を示してくれると考えられてきたのである。それゆえ、バウムガルテンが感性的認識の学を提起したとき、たしかに感覚や感性は理性などより劣っているかもしれないが、しかし正当に評価されてこなかったのではないか、という思いがあったと言うことができるだろう。感性に光を当てるというそのような態度は、今日、Aesthetics がまさしく感性に対する哲学的反省としての「感性学」という相貌を呈するようになってきている点に木霊していると言っても過言ではない。

 しかし、そうすると、そのバウムガルテンの著作が、さらには哲学的学問領域としての Aesthetics が、感性学ではなく美学と訳されているのが不思議に見えてくる。バウムガルテンの場合は、ほかならぬ美が「感性的認識の完全性」と位置づけられており(ちなにみその不完全性が醜)、先の著作はこの美を中心にして展開される。いわば感性的認識の代表として美が扱われているわけである。またバウムガルテンに限らず、西洋近代にあっては、優美や崇高、悲劇的であるとか喜劇的、グロテスク、醜といった事柄は、美的なもの、すなわち、美に関わるもの、美に属するものとみなされている。つまり、美しいという事態は、感性的領域の中心に位置するものとして扱われてきたのであった。このようなことが背景にあるので、Aesthetics は美学と訳される。

 ここで「美しい」という事柄を簡単に見てみれば、それが特に対象の質に関して言われていることが分かる。たとえば私たちは、この花だとかあの人だとかといった自分自身の周りに広がる外的世界の対象について美を語るのであって、自分自身のことを美しいとは普通は言わない。美しいのは、目の前のこの花であって、その花を見ている私の眼や視線ではない。美しいと捉えることは、私が自分の感覚や感性の働きで捉えた外的対象の何かしら独特な質について語っているということであって、それゆえ、そのような対象の質を受け取る主体としての人間(私)の能力の問題と表裏一体となっている。もちろん、感性だけで美が把握されるわけではないが、感性や感覚が大きな役割を果たしていることは確かである。それゆえ、美は美学の大きな柱となる。

 他方、美が重要な役割を演じている人間の領域としては藝術を挙げることが多いだろう。この藝術とは、人間のさまざまな「制作活動」の内、絵画、彫刻、建築、音楽、舞踊、文学、演劇、写真、映画などといった活動を言う。ただし、このような藝術活動は古代の昔から美をその本質的契機として取り込んでいたわけではない。藝術と美を本質的ないし原理的に結びつけて考えるようになったのは近代になってからなのである。つまり、ある特定の作品についてそれを美しいと捉えることと、藝術活動の原理や土台を美の創造と捉えることはレヴェルに違いがあるのであって、藝術活動の本質的要素として美を組み込んだのが近代なのである。

 このような藝術への美の取り込みによって、美の捉え方にも微妙な変化が生ずることになる。美は私たち人間(主体)の周りにある外的対象の質として受け取られてきたということ、このことは自然美の藝術美に対する優位を示すものであり、人間が創り出した美しさよりも、自然の中に見いだされる美のほうが上位に置かれる。ところが、藝術活動の本質を美の創造と捉えることによってこの関係が逆転してしまい、藝術美が自然美よりも上位に位置することになって、いわば美の安住の地も移動してしまう。それまでは自然の中の美に人々は吸い寄せられていたのであるが、藝術美の優位つまり人間が創り出す美の自然に対する優位が生じることで、美が内面化され、美の精神性や内面性が主張されるようになったのである。もちろん、美との出会いは私たちの心に大きな動きを引き起こすので、近代以前も美が人間の内面性と切り離されて考えられることはなかった。しかしながら、その場合もあくまで美の重心は、私たちを取り巻いている対象の側に置かれていた。これに対して、藝術と美の親密な結びつきは、美の重心を私たちの周りの世界、外的世界から内面の領域へと移し替えたのである。この美の内面化に並行して、藝術もまた理念化し、観念的なものへと変質してゆく。そして20世紀半ばの第2次世界大戦後、近代における藝術と美の幸福な関係に終止符が打たれ、両者は再び別々の道を歩み始めることとなり、それと同時に、藝術もまた大きく変貌することになったのである。

 ここで観点を少し変えて藝術を眺めてみるならば、藝術はまさしく制作活動なのであるから、そこには必ず技術が必要となる。技や技術がなければ、そもそも何も作れない。つまり、技術は制作活動の要諦である。したがって、西洋では紀元前の古代から藝術活動を技術の枠組みの中に含めて考察してきたのであった。農作物を作るにも、料理を作るにも、あるいは、舟を漕ぐにも、さらには医療行為にも技術が必要であるが、そのような技術の中に藝術活動も含まれていたのである。そういった技術、技が何によって評価されるのかと言うと、その出来栄えの見事さで測られる点は留意すべきである。しかも、今日の場合を考えてみればよく分かるが、そういった技術〔の成果〕がまさしく余人の真似できないような卓越したものである場合、藝術とか藝術的という形容がなされるのは示唆に富む。何かしらの制作物に対して、これはもう藝術作品の域に達している、などと言う場合、そこで念頭に置かれているのは、技術の卓越性なのである。すなわち、卓越した技術の束こそ、藝術活動の根幹である。このようなある意味では技術領域の中核に位置していた藝術活動が、近代になって技術の外へと解き放たれることになったわけである。その際、いわばそれまで技術に守られていた藝術は、技術に代わる新しいよりどころ、新しいパートナーを見いだす必要があった。それが美という質であり、価値であったと言うことができよう。